トム・オッペンハイム氏のエッセイ「演劇とは。」

演劇とは。

アクターズクリニックが提携するステラ・アドラー・スタジオのCEOであり芸術監督であるトム・オッペンハイム氏のエッセイをご紹介します。

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朝の通勤途中で、私は遠い先祖の代に始まり子孫の代まで受け継がれていく演劇についての夢を思い描く。
最近、演劇というものは、私たち人間もしくはコミュニティが、痛み、抑圧、怒り、そして憎しみといった千年以上に亘る試行錯誤に苛まれた人間を癒し、救い、復元するための方法論、人間の精神によって形成された遥か昔から不変の方法論なのではないかと感じている。幾千もの物語、生きた物語、体現された物語が私たちを探し、ついに見つけ出し、私たちの奥深い部分までを追求する。口ではなく耳で語られる物語、目や耳で感じる物語、あなたや私への最大のいたわり、私たちの間にある神聖な空間……。もっと言うと、物語そのものや、空間、神聖な繋がりさえも超えて伝わっていくべきものでもあるかもしれない。演劇とは耳と目に入ってくるもの全てであり、演劇の本質とは、尊敬の念であり、愛そのもの、無償の愛であり、海のように無限の愛なのである。さらに演技の技術とは、芸術の骨組みであり、昔からの知恵であり、神聖な規準であり、無限の空間を位置づけ、世界の架け橋となるべきものである。演劇とは、償いの芸術である。そして今の世の中、まさに償いが必要とされているのは明らかであろう。
毎朝通勤中、私は地下鉄のホームで家路へ向かう人々をじっくりと観察する。それはステラの「俳優よ、よく見て、よく愛しなさい」という教えがもとになっている。彼らは今日、私と一緒に命を落とすかもしれない同士であり、魂、兄弟、父母、親戚である。もしかすると同時に、彼らとは一緒に脚や目、耳、腕、性器を失うかもしれない……。今日私はこれらの魂、美しいいくつもの魂とともに、体を切り刻まれたり障害を負わされたりしてしまうかもしれないのだ……。俳優よ、よく見なさい、例えば外科医や天使のように。私たちはとても傷つきやすいが、人生はそんなことを凌ぐほどに鋭く、鮮明で、貴重で美しい。産まれたばかりの子どものようにそれを瞬間ごとに取り入れて、映し出して、受け取るのだ。
もし私がテロリストに捕まったら、私はきっと怯えるだろう。だが決して負けはしない。決して負けてはいないのだ。例え怯えたとしても、夢を生かし続け、私たちの繊細な部分を守るという意思は今まで以上に強まるのだ。それは子どもの頃の遊び場であり、若者の壮大な夢であり、先輩たちの知恵である。または歴史の劇場であり、神聖な演劇を魂と体全身を使って体験するということである。破壊と喜び、悲しみと恩恵を通して、様々な見方で、感情豊かに感じることなのである。
ふと思う。私の子どもを切り裂くようなテロリストをどう愛せるのか。ステラ・アドラー・スタジオのアーティスティック・ディレクタ―として演劇が生徒に及ぼす影響を見ていると、これらの考えを感じることが出来る。それは無料でレッスンを受けている生徒からフルタイムの生徒まで、全員の生徒に見られることだ。そう、私は奇跡を見てきた。争いが解決され、邪悪な精神が浄化され、内に秘めたものが解き放たれてきたのを、この目で見てきたのだ。特にそれが顕著なのは、ステラ・アドラー・アウトリーチ部門である。ここにはサウス・ブロンクスの中学生、貧しい環境からきた高校生、薬物中毒だった人、アルコール中毒だった人、投獄された人など世間にのけ者扱いされた人がいる。彼らは周りに忘れ去られ、ののしられてきたが、演技に触れると驚くほど活き活きとするのだ。気づけば私たちも、彼らと共に刑務所や警察から逃れ、鉄柵を超えながら、揺るぎない自由へと舞い上がっている。私たちはみんな鎖に繋がっている。ウォール・ストリートでスーツを着て身を隠す者から、クリストファー・ストリートで化粧をして記憶を亡くす者まで。みんな自由になるためにお互いが必要なのだ。演劇はそのための技術を与える。どうテロリストを愛すのか?どうドナルド・トランプを愛すのか?どうドローンを愛すのか?
私たちは手を取り合って傷を癒しあい、輪になって支え合う。私が夢見る私たちのための演劇……。地下鉄にいる人々から刑務所にいる人々まで、みんな繋がっている。境界線は消え、輪が救う。私たちのための演劇をみんなで夢見よう。何年も投獄されていた人、荒れ果てた家から来た人、崩壊した学校から来た人たちが、いかに早く傷を癒し、自分を取り戻し、奥底に眠る偉大さを導きだすか、その瞬間はまさに圧巻であろう。その自由にどうやって繋がっていくか、それは自分のもとになるパワー、権利、栄光、癒し、健康にある。
マンハッタンにいるボロボロの服を着た狂人的な霊媒師を見て、オイディプスの姿を思う。そこから私は自分の狂気、妄想、破滅、カオスについて考える。その霊媒師はこの世に生まれてきた。私もそうだ。生まれてきた瞬間を想像してみると、色々な質問が出てくる。誰がへその緒を切ったのか?助産婦なのか、父親なのか?それとも業者か?彼の母親についても考える。彼女は悲しむのか?興奮するのか?どう彼を助けるのか?どんなものを与えられるのか?彼は私たちと同じ価値を持ち、彼はここにいる誰でもある可能性がある。誰かの影や幽霊でもない。彼にも彼の世界が広がっていて、まさしく演劇が必要なのだ。20年に亘りステラ・アドラー・スタジオのアーティスティック・ディレクタ―を務めた今、自分に問いかける―この騒然とした世の中、演劇に何が出来るのか?演劇は何をもたらすのか?どんな子どもを送り出せるのか?その子どもも惨めな人生を送り、正義を訴えることになるのか?私は自分の先祖に問いかける―役者を鍛える最終目的は何なのか?演劇の最終目的は?暴力にまみれ、傷ついた世の中を助けられるのは、もしかしたら私たちの役目なのではないだろうか?私たちの知恵を世にさらけ出すべきなのか?―これらの質問を自分の中で叫び、友人と共有し、答えを待つ。答えを待っている。これが私の祈りだ。私は扉を思いきり開け、私たちのための演劇を、祈る。

―ステラ・アドラー・スタジオ 芸術監督 トム・オッペンハイム―

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